地元を出るまでの15年間のおはなし -実情編ー

まず初めに、祝 世界自然遺産登録!!

書くきっかけをくれてありがとう!!

 

 

人口約2000人、沖縄県内では2番目に大きいとされる面積である西表島

そんな島で私は育ちました。

二番目に大きいというのに島の半分は自然保護区、そのため島一周は不可能。

 

地区は大きく分けて東部(とうぶ)と西部(せいぶ)に分かれる。

島の半分が住めるスペースでもやっぱり沖縄県で二位はあなどれない、だって西部地区に住んでいた私は東部地区の生活事情なんて何も知らないからだ。

西から東に行くまで山と海に囲まれながら車で30分かかる、もちろんその間信号はない。

今でこそ30分だけど私が小さい頃は1時間かかっていた。

 

食料調達のために石垣島に行くには船に乗る必要がある。

船乗り場は西に一か所、東に一か所。

ただ私の住む西の船乗り場は悪天候に弱い。冬は特に弱い。

そのため東の船乗り場まで行かないと石垣島には渡ることができないのだ。

 

さいころ、私はそんな東部が都会に見えた。

西表唯一の信号があり悪天候なんて屁でもない、最強だろ!って…

でもそこから船に乗って行く石垣島はもっと都会だった。

信号なんて数えきれない。大型スーパーのサンエー、TSUTAYAにA&W、服屋さんまで!!

だけどレンタルが売りのTSUTAYAなのに西表の人は借りることなんてない。だって返却日に返せないんだから。

一週間後また返却しに行かなきゃいけないなんて…レンタル料より交通費のほうがばかにならない。

石垣島の人が羨ましく思えた。

 

ただ、そんな都会に行くまでの道のりは私にとったら苦痛でしかなかった。

東部まで行くのに車酔い…

着いたと思ったら今度は船で船酔い…

石垣島着いたと思ったら大型スーパーまで行くのにバスでバス酔い…

 

都会への道のりは険しいんだと幼いながらに痛感した。